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The Enigma キングズカレッジ

1年が過ぎて、強大な支配力をもつフォン・ノイマンは、アランに彼の助手としてプリンストンに留まるよう言ってきた。
しかしアランは断わった。彼はプリンストンの地位も名誉も金も無関心だった。
不器用で内気で優しい彼は旧友のいるキングズに帰りたかっただけだ。
友達のフレッド・クレイトンが留学先のドイツからユダヤの子供二人をイギリスの難民キャンプに連れて来ることに成功した。
アランは心を痛めて学資援助を申し出た。しかしキングズでの講師の薄給では事実上無理だったが幸いパブリックスクールが
数名を受け入れてくれた。
プリンストンでやり残した課題の一つは、リーマンのZeta-Functionの零点の計算であった。
近似として30の異なる振動数の波動の和を考えたが、振動数は整数のLogに比例するので、例えばLog3の波動は
それぞれ34,31,57,35の歯を持つ歯車の組み合わによる装置で表現できた。
したがって概算120個の歯車を精密に作れば、30の異なる振動数の波動の和を実現できる。
マクファイルの弟ドナルドが設計の青写真を描いた。アランは研究生の助けも断わり自ら工学部に出向いて
せっせと材料をリュックサックに詰め込んで運んでいた。部屋は歯車でごった返していた。
仲間のケネス・ハリソンと一杯飲みながらそれについて説明したがついに理解してもらえなかった。チャンプも
歯車の切り出しを手伝った。
しかし周囲の状況は急変してきた。ドイツの侵攻は加速してきた。事は切迫してきたが、情報上の大問題は
ドイツの暗号化情報が解読不能だったことだ。暗号機エニグマ・マシン。
アランはそのため密かに情報機関に組み込まれることになった。
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2013-04-23 : その他 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

The Enigma プリンストン大学

1936年、アランが24の時、未出版の"Computable Numbers"の草稿をもってニューマンを訪れた。
同じ頃、米国プリンストン大学の論理学者アロンソ・チャーチがヒルベルトの問題に答える論文を出版していた。
しかしチャーチ論文の口述的な議論に比べ、"Computable Numbers"はより直接な内容であった。
アランは、プリンストンの試験監督に採用された。キングズからは彼一人だったがトリニティーにいた友達の物理学のモーリス・プライスは前年から来ていた。
プリンストンは、当世の一流学者が一堂に会していた象牙の塔だった。しかしアランはニューマンが言った様に常習的に孤独のようだった。
アロンソ・チャーチはアランに"Computable Numbers"の講義を持つように勧めたが、講義の反響は期待はずれだった。
アランは、キングズに戻りたかったが、ケンブリッジの講師職を取得できなかったのでもう1年プリンストンに留まる事になった。
恐るべきモーリスは既に博士号を取得しており、ケンブリッジの講師職も約束されていた。
とても寂しかった。二人は一時帰国して旅行することになったのだが、ある夜アランはモーリスを求めたが驚いて拒絶された。
彼はモーリスの中に大人になったクリストファーを見ていた。二人はその後二度とその事に触れる事はなかった。
前だけをみて進む時が来た。アランは25の誕生日にアメリカに渡った。
2013-04-22 : その他 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

The Enigma チューリングマシン

記号を操作する機械の一つにタイプライターがある。使用者のあらゆる操作に対し、
その反応は完全に確定している。完全な使用説明書の通りに。
アランは書くだけでなく読むこともできるスーパータイプライターを想像した。
それは無限に長いテープに書かれている文字、記号を逐次読んで使用者が決定した操作を
スーパータイプライターに与えて書くイメージだが、更に先まで考えを進めて行った。
アランは、計算可能な数というアイデアに出くわした。
ある定められたルールによって定義された任意の実数は彼の考える機械で計算可能であるという概念だ。
例えば無限の桁をもつ円周率パイは加算、掛け算、複写等々を定義したルールによる有限のセットにしたがって
計算出来る。
3のルート、Log7のような関数も、決まったルールで定義されている。
アランは、カントールの対角線論法によった証明つまり全ての有理数以外の数つまり無理数の存在に対応して、
全ての計算可能な数以外の数つまり計算不可能な数の存在を示した。
この事は、ヒルベルトの第3問題に正に"no"を突きつけた。
しかしアランのしたことは、人間知性の素朴な機械的描像を純粋数学の精密な論理に結びつけた事である。
チューリングマシンの概念が生まれた。
かつてクリストファーと共に信じていた魂の生存、交信の観念は捨て去られ、強力な唯物論者、無神論者として
自らを同定した。
彼は考える。原理的に量子力学は全てを内包しているが、実際上は現実世界での何かを説明するためには
様々なレベルの記述が要求される。
進化論における遺伝子のランダムな突然変異による決定論、化学反応における個々の分子のランダムな運動の
複合的最終的な結果としての決定論。
中心極限定理は、最も一般的な種類の乱雑さから如何に秩序が出現するかの例である。
そして暗号システムは、一定のシステムによってどのような種類の乱雑さを浮かび上がらすことが出来るかの
例であろう。
2013-04-19 : その他 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

The Enigma ゲーデル

ゲーデルは、算術が完全ではない、つまり証明も反証もできない命題の存在を示した。
証明の操作は、それ自体が算術的である。つまり数えることと比較することである。
彼の考えたシステムでは、式は整数で暗号化(記号化)できた。したがって整数についての陳述を整数で表現できた。
さらに証明を整数で暗号化する方法をも示したので、算術の全ての理論を暗号化できた。
これは、もし数学が記号によるゲームとして純粋に見なせるなら、同様に数字的な記号も使用してよいということを利用したものだ。
その結果は、自己言及する算術的命題をも導き出し、それは証明も反証もできない命題である事を示した。
さらに算術はそれ自身の公理体系内で無矛盾であることを証明できない事も示した。
ゲーデルの結果はしかし、証明可能な命題と証明不能な命題を分別する何らかの方法がある可能性を排除しなかった。
ハーディは少々憤慨して言った。勿論そんな定理はない。
もしそうなら数学の全ての問題を解決するための規則的機械的手順を我々は持つ事になるだろう。
そして我々数学者の活動は終わりを告げるだろう。
ニューマンはハーディ、ブレイスウェイトと共にケンブリッジの大御所であり近代数学論理の深い知識をもつ人物であったが、
アランはニューマンの講義の最後にゲーデルの定理について学んだ。
証明可能な命題と証明不能な命題を分別する何らかの方法をニューマンは"機械的プロセスによって"
という意味深長なフレーズに置き換えたが、これはアランの心を駆け巡った。
2013-04-16 : その他 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

The Enigma ヒルベルト

デデキントに続いてペアノが数学の基礎としてペアノの公理を発表した。
カントールは集合論を構築した。そこでは整数を順序数と命名している。
フレーゲも論理的観点から数学の基礎論を発表していた。
1900年ヒルベルトは20世紀にむけ17の問題を提起したが、その2番目にペアノ公理の無矛盾性の証明を挙げている。
ラッセルはフレーゲの基礎論を、集合の概念を導入してより具体化しようとした。
しかし重大なパラドックスの存在に気づいた。したがって集合論にも矛盾が存在する。
自分自身を含む集合と自分自身を含まない集合がある。例えば抽象的概念の集合は自身を含む。
人類という集合は人類を含まない。では自分自身を含まない集合の集合は、自分自身を含む、含まない?
結果は、自身を含むなら含まない、自身を含まないなら含むという矛盾に至る。
ヒルベルトは、フレーゲ、ラッセルの取組み方ではなく形式主義に拠ったが
1928年の国際会議で極めて明確に問題を提起した。
第1に、完全性。数学の各命題は証明されるか反証されるかである。
第2に、無矛盾性。ある命題は正当なステップの繰り返しによっても証明されない。
第3に、決定性。任意の主張に対し、正しいかを決定する決まった方法が存在する。
しかしほどなくクルト・ゲーデルはそれに対して深刻な打撃を与えた。
2013-04-14 : その他 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

The Enigma フォン・ノイマン

翌年、アランは再度、トリニティ・カレッジを受けたがまた落ちてしまった。
しかし第二志望のキングズ・カレッジに受かって寄宿舎に入った。
キングズの学生は大体、自意識が強いエリートグループを形成しているが、アランは例外だった。
19歳の内気な少年だった。最初の友達はデビッド・チャンパーナンで一緒に指導教官の所に行くようになった。
教官の一人であったフィリップ・ホールはアランをとても気に入って色々な話をしてたらしい。
アランは学業は別としてクリスの影をひきずって同性愛を続けていた。JAMES ATKINS,FRED CLAYTON...
本では、ケンブリッジの状況、特殊性それに同性愛についても述べているが英語も内容も難しいので省略する。
学業のほうは、数学のほかに当時一気に台頭してきた量子力学も研究していた。
特にフォン・ノイマンによる、無限次元ヒルベルト空間による量子力学の厳密化に深く傾倒していた。

しかし同時にバートランド・ラッセルが数学の基礎にある問題を突きつけていた。
記号化、抽象化によって数学はゲームを記述するのと変わらない様相を呈してきたが、もしそうならそのゲームの
ルールは絶対的に正しいのか。ヒルベルトはユークリッド幾何学の基本要素である点、線、平面...を完全に
記号化しそれらの関係を公理として現実世界の幾何を抽象化した。ただし"実数"の存在を前提としてたが
それは現実世界の長さの測量、無限に細分できる現実世界の概念であった。その後デデキントが整数の無限の
並びとして実数を厳密に定義した。さてそれでは"整数"が最も基本的なものなのか。

2013-04-13 : その他 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :

The Enigma アラン・チューリング

アラン・チューリングは1912年イギリスのPaddingtonで次男として生まれた。
14歳でパブリックスクールに受かったが寄宿舎に入ることになった。
授業を無視して好きな化学、算数をやってたようだ。当然劣等生でまわりから馬鹿にされてたようだ。
15歳の時、別の寄宿舎に1歳上のなんでも出来るクリストファー・マルコムと知り合った。
化学、音楽、天文学、数学等々。それまで他とのコミュニケーションが出来なかった(興味がなかった、)
アランが一所懸命にクリスにコンタクトをとるようになっていった。
なんでも自分より優れてる彼に憧れ、いつも一緒にいたいと思いつつ同性愛も芽生えていった。
クリスが18歳になりケンブリッジ・トリニティカレッジを受けることになり、アランもそうしたいと考えた。
トリニティはいまやドイツのゲッチンゲンに代わる科学の中心地になっていた。
クリスは試験を通ったがアランは失敗してしまった。
しかしクリスは数年前に肺結核に罹って以来常に病弱でありついに19歳の時に亡くなってしまった。



2013-04-08 : その他 : コメント : 0 : トラックバック : 0 :
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